昭和63年にブロンズになった
昭和63年にブロンズになった

慈愛の像とは?

  作 品 名 慈 愛

  制 作 年 昭和32年

  素   材 セメント

  製 作 者 長沼孝三

  設 置 場 所 長井市立長井小学校

  設置年月日 昭和32年5月3日

 

同校出身の彫刻家 長沼孝三が制作した屋外彫刻。当時はセメント製。現在はブロンズ化されている。

エピソードⅠ「制作のきっかけ」

「慈愛」制作中の長沼孝三(昭和32年)
「慈愛」制作中の長沼孝三(昭和32年)

 慈愛の像が設置されたのは昭和32年のこと。当時、長井小学校の校門付近に、空の台座が残っていた。それは、戦時中の金属回収令により、それまで立っていた像が回収されてしまったからであった。戦後10年以上が経ち、空の台座を不憫に思った当時のPTA会長が、何か小学校のシンボルになるものをと、同校出身の彫刻家 長沼孝三に依頼したのがきっかけであった。

 設置する作品のテーマについて、特に要望があったわけでなかったが、児童教育に強い関心を持っていた長沼は、こうあって欲しいと願うこれからの子どもたちの在り方を考える。そして、「あたたかい、おおらかである、豊かな心、情け深い心」といった意味を内包する「慈愛」が、テーマとして相応しいとして制作をはじめることになる。

エピソードⅡ「どうしてニワトリ?」

「慈愛」を見に集まった子ども達(昭和32年)
「慈愛」を見に集まった子ども達(昭和32年)

「慈愛」の心は、どうやって子どもたちの中に育まれるのだろうか。長沼は、故郷 長井の豊かな自然環境が育てるという。

 幼い頃から、暮らしの中で身近に自然を感じ、様々な生き物や草花などと触れ合う経験は、自ずと子どもたちの心の中に自然への感謝や共感、自然との調和の感覚を育てる。長沼にとっては、このような自然への感情こそが慈愛をかたちづくるものである。 

そして、自然の中でのびのびと育つ子どもたちの姿を思い描いたときに、長沼の頭に浮かんだのが、自然そのものとしての大きなニワトリであり、その背に乗る二人の子どもの姿であった。感性の柔らかな子どもたちに難しい言葉は何もいらない。長沼の作ったこの像は、子どもたちがおとぎ話の世界に難なく入れるように、容易に慈愛を直感させるのである。

こぼれ話①

 空になっていた台座には、かつて楠木正成の像が立っていた。台座の形は、底辺が長い台形をしていたのだが、それではイメージしたニワトリが納まらないと、台座をひっくり返して、上面を広くしてから使ったというエピソードが残っている。

次回、エピソードⅢ「慈愛」は、7/27ごろ更新予定。お楽しみに!